何が人間の心の中にあるか (ヨハネ2:25)
三村 修 (佐渡教会牧師)
レビ記4章、5章に贖罪のささげものについての規定が書かれている。贖罪とは神さまに謝罪すること。神さまへの謝罪の気持ちを牛や山羊、羊のささげものにこめた。鳩は貧しい人たちのささげものだった。イエス様が誕生した時、両親は鳩をささげた(ルカ2:24、レビ12:8)。
私たちの隣人・他者の姿を通して、神さまは私たちに出会われる。神さまに謝罪するとは、隣人・他者に謝罪すること。どうすれば私たちは隣人・他者に謝罪できるのか。ケン・ブランチャードは「迷惑をかけてしまった人にあやまるには自分がミスを犯した、それを申しわけなく思っている、これからは態度をあらためる、その三つを伝えることが最良の方法だ」(ケン・ブランチャード『一分間謝罪法』扶桑社)という。
迷惑をかけてしまった人に何か贈り物をするという事はできても、謝罪の意思と気持を、言葉と態度で示すという事がなかなかできないのが私たちだ。真の謝罪を欠いた贈り物は、かえって真実にふたをする。牛や山羊、羊をプレゼントすることはできても、謝罪することができない人間の心を、イエス様はよく知っておられたに違いない。牛、山羊、羊が謝罪のしるしではなく、真実を隠す覆いとなる。イエス様の鞭は、その覆いを取り除こうとする鞭だ。
「ほとんどの問題の核心にあるのはあなたが直面したがらない真実である」(同)。ダメな私でも、神さまが無条件に愛していてくださることに信頼し、真実と向かい合おう。「自分に対して正直になる一分間は自分をあざむきつづける数週間、数年、数十年よりも価値がある」(同)。
■この記事は2012年1月29日の佐渡教会説教要旨をもとにしています。■教会暦=降誕節6(D18)/主題=新しい神殿/聖書=列王上8:22-30(旧541頁),詩編48:9-15(交読詩編52頁),Ⅰコリント3:10-17(新302頁),ヨハネ2:13-25(新166頁)(聖書の頁は新共同訳聖書) ■賛美=(説教前)『讃美歌21』58(み言葉をください)/(説教後)『讃美歌21』475(あめなるよろこび)
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